ウイスキー概論2 〜ケルトとモルト〜

ウイスキー概論2 〜ケルトとモルト〜

2021.04.22

モルトという言葉は、原料の発芽大麦を指す意味と、それだけを原料に蒸留したウイスキーそのものをも示す。そのモルトウイスキーが花開いたのはスコットランドである。今の世界のウイスキーの発祥はアイルランドとスコットランドにある。どちらの国が先かというのはあまり意味がなく、まだ国という概念がなく部族が割拠していた時代。それこそ古代東アジアにおいて海賊或いは交易も担っていたのではないかと思う海の民倭寇が、まだ日本という国号(7世紀天武天皇の頃)が生まれていなかった頃に、海原を領地として隣接する朝鮮も中国も東南アジアも国という概念なく往来していた様なものである。考古学的にどの場所でウイスキー作りが始まったという証拠がないので、当時そのあたりで文化を生み出していたケルト民族が発祥と見るべき。5世紀のセント・パトリックがウェールズからアイルランドにキリスト教を布教する際、ウイスキー造りが伝わったという説。その後6世紀にセント・コロンバがアイルランドからスコットランド西岸へブリディーズ諸島アイオナ島に進出した。そこを拠点にスコットランドにキリスト教布教活動を行なうのであるが、それに乗じてアイルランドのダリルアダ王国が海を渡ってキンタイア半島に進出。その際ウイスキー造りも伴ったとの説がある。キンタイアと云えばキャンベルタウンのある半島だ。グレートブリテンには古代よりローマ軍が撤退した後も、中世に至るまでケルト民族が繁栄していた。スコットランド北部に謎のケルト系ピクト人が先住し、南西部にもケルト系ブリトン人。南東部にゲルマン系のアングル人が居住していた。アイルランドにはゲール語を話すケルト系スコット人が居住していた。このアイルランドに居住していたスコット人の一派ダリルアダ王国が今のスコットランドの地に渡り、先住のピクト人のアルバ王国と9世紀に融合し、今のスコットランドのルーツであるスコシア王国が成立した。その名の由来はアイルランド発祥のスコット族にある。さてウイスキーがいつ生まれたかであるが、物証がないので文献記述に頼るしかない。南ヨーロッパには蒸留酒製造に関する資料が古くからある。それはラテン語による文語記載文化があったためである。一方北方のケルトは文語が無く、口語伝承しかなかったため資料が乏しい。そんな中でも6世紀のウェールズの吟遊詩人Taliessinによる蜂蜜酒ミードを蒸留した詩が残る。と同時にエール製造の詩も作っている。ということはその当時蒸留技術とエール製造技術が既にあったわけであり、大麦モルトを原料としたエールを蒸留してウイスキーの元祖を作っていたことは容易に推測できる。その後時代が下って1172年イングランドのヘンリー2世がアイルランド侵攻の際、ウシュク・ベーハーと称して穀類から蒸溜酒製造を行っていた記述がある。また1494年スコットランドの財務省記録に「スコットランドの修道院で修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与え、命の水(アクア・ビティー)を造らしむという記述が登場する。このアイルランド、スコットランドに関わるスコット人がつまりはモルトを使用したウイスキー造りを生み出したのでは?と大括りに考えてよいのではと思う。


細井 健二 

ニッカウヰスキー勤務時代に余市・仙台・ベンネビス蒸溜所の技術指導、ブレンダー、マーケティング商品開発、ワイン・スピリッツはじめ総合酒類の開発に携わっており、官能的な総合評価だけではなく、分析的な知覚判断材料として機器分析にも精通しております。

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