ウイスキーの木桶醗酵槽について業界30年の専門家が解説【ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティ】【ウイスキー概論14,15,16】
2021.10.26
「ウイスキーの木桶醗酵槽について詳しく知りたい。」
この疑問に、ウイスキー業界30年の専門家がお答えします。
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1. ウイスキーの木桶醗酵槽について
ここまでウイスキーの香味がどのように生まれてくるのかを雑駁にまたポイント、ポイントに着目して述べてきた。
ここで筆者の長いモルト香気研究の中で到達した「目から鱗が落ちる話」をする。
100年前のスコッチモルト蒸溜所では醪の醗酵槽は全て木桶であったと想像できる。
鉄やステンレスの醗酵槽ができるまでは、当然材料に木材しかなかったと思われるし、また中世から木桶を作る技術は確立していただろうし。
材質としてスコットランド産のカラマツが使用されていたようだ。
少し大きな容量になれば3〜4m程度の長さの側板が必要になってくることを思えば、軽くて真っ直ぐな針葉樹が材料として適していたのではと思われる。
その後スコットランドから木材が枯渇していき、代替品として北米や周辺諸国からのオレゴンパインやダグラスファーといった針葉樹が利用されるようになった。
近代化が進んだその後、木桶に拘って使い続けた蒸溜所とサニタリー性に優れたステンレス製に置き換わった蒸溜所に別れていった。
20世紀の後半にはかなりのスコッチモルト蒸溜所がステンレスタンクの導入に至った。
ちょうどフランスのワイン製造においても盛んにサニタリー性を重んじるが故に木製からステンレス醗酵に切り替わっていったのと同じである。
しかし20世紀末になると、ステンレス醗酵では清潔な酒質が得られるものの、どこか単調で面白みや深み、個性の無さが指摘されるようになる。
そうすると流れは復古的に木樽醗酵が復活し始める。
スコッチ業界でも乳酸菌の役割に着目して木桶醗酵槽の意義について再度見直しが始まった。
当時乳酸菌の有用性に関しては、スコットランドのSWRIやHeriot-Watt大学、ニッカ、サントリー等日本のメーカーもその有用性に着目して研究を行った。
それから30年ほど経ってウイスキーが息を吹き返し、クラフトディスティラリーが乱立しだした今、木桶醗酵槽に品質の優位性があるとみた製造者がスコッチでもジャパニーズでも次々にその導入に踏み切っている。
木桶は扱いが難しく、洗浄や維持メンテナンスに多大な労力を要する。
ステンレス製とどれほどの品質差があるのか?ということをさて置いても導入に踏み込むのは、木桶が持つ風合い、ナチュラル感やクラフト感といった付帯的イメージをブランドイメージに込めたいということもあろう。
醤油や味噌のような日本の醗酵業界も木桶を大切にしてきた。
清酒業界含めて今でもその効用を研究している。
やはりサニタリー重視でステンレス化して失ったものがあることを知っているからである。
さてモルト製造において木桶を使えばサニタリー性が下がるということは、すなわち醗酵酵母以外の自然発生微生物の香味に与える影響があるということは容易に想像できるであろう。
酒類の製造に関与する醗酵酵母以外の微生物は、乳酸菌、酢酸菌、酪酸菌、野生酵母が主なものだ。
木桶を使用すればこれらの微生物が予期せぬ活動して、純粋でない醗酵香味が生まれるということになる。
さてどのように香味に影響を与えるのだろうか?このことを解明せずに、漠然と木桶のイメージが良いというだけでは納得しなかったのが筆者である。
この後深く掘り下げて解説していく。
2. ウイスキーの木桶醗酵槽について(その2)
木桶の構造で微生物が住み着きやすいのは、ツルツルに磨いたステンレスタンクの表面とは異なり、粗い板目の表面や隙間に微生物が棲みつくからと漠然と考えていた。
それもあるだろう。
しかし木桶を使用しつつも綺麗な醗酵に徹している蒸溜所では、木桶内面の洗浄・殺菌は徹底しており、醗酵初期の酵母の湧きつきを阻害する兆候は見られない。
洗浄が不十分で汚染した発酵を是とする蒸溜所は別だが。
ところが醗酵が終了し酵母が沈静化すると、木桶では乳酸菌が瞬く間に増殖して醪のpHを下げるのである。
ステンレスタンクでは起きない。
ステンレスタンクでも乳酸菌はある程度存在しているのだが、醗酵終了醪中で増殖する程の活性密度はないということである(増殖できる保温効果がないことも一因だが)。
では木桶の場合はなぜ終盤に乳酸菌が活性化できるのだろうか。
ここには木材の構造が関係している様である。
通常板目取りして木桶の側板を組む。
その板目には縦(垂直)方向に仮道管という空洞の管が無数に走っている。
それとは別に直角(水平)方向に放射状組織と呼ばれる、空洞の菅も無数に走っているのである。
この放射状組織という管は、実は醗酵槽の内側と外側を貫通しているのである。
見た目には穴など開いてる様には見えないが、無数に開いているのである。
この穴に繋がる管は死んだ植物細胞壁の跡だから、酵母や乳酸菌などの微生物が収まる口径である(植物細胞の方が大きいため)。
且つ外からは微生物が酸素を取り込み、内側からは水分や養分を取り込むことが可能なのである。
管だけの物理的な現象だと口径が小さ過ぎて水とか酸素の流通は殆ど起きないと思われるが、微生物が連なって入るとポンプの役割をすると思われる。
このように考えれば、木桶内表面や隙間というよりも、木桶木材にあいた無数の見えない穴の内部に、かなりの数の乳酸菌などの微生物が待ち構えて棲んでおり、酵母による醗酵が終了したら、わっと大所帯で出動できる。
また木桶内表面の殺菌に対しても木材内部は影響を受けない。
これが木桶のバイオリアクター的能力なのかと思う。
この様に木桶には乳酸菌が住み込めるスペースがある様だが、これは何も乳酸菌に限ったことではない。
野生酵母や他の微生物もである。
古来より漬け物桶は、良い菌の繁殖したものから良い漬物が、悪い菌が繁殖したものから不味い漬物しかできないと言われるが、この原理を考えると本当だと思う。
ここで筆者が30年前にスコットランドで修行した際に見た木桶の話をする。
その蒸溜所の木桶は兎に角黒いのである。
なぜ黒いのかと尋ねたら、現場の作業員曰く、あっという間に黒く染まってしまうのですよ!と言った。
その言葉がずっと脳裏にあり、黒くなる要因を探ったことも何度かあったが迷宮に入っていた。
数年前 閃きがあり、その意味がとうとう解った。
黒く染まるのはカビのせいではないかと。
ある種のカビが菌糸を放射状組織に張り巡らし、木桶を我が家に独占してメラニン色素を出す。
そういうことではないかと。
ここで一つ大変興味深いことがある。
ある種の古典的なスコッチスタイルのフレーバー。
グリーンやファッティという言葉で表現しているが、そのような香味スタイルを持つ蒸溜所の醗酵槽は木桶であり、尚且つ何処も黒いということだ。
白い木桶からは生まれないということ。
3. ウイスキーの木桶醗酵槽について(その3)
木桶を黒く染めるこのカビの正体はオーレオバシディウム・プルランス(旧分類)という不完全菌に属すと推定される。
長い間、酵母なのかカビなのか分からない中間的な存在として知られており、ウイスキー蒸溜所は勿論ワイン蔵、焼酎、清酒蔵、味噌、醤油など醗酵や酒類製造場の壁を黒くしてしまう輩だ(毒性はないのだが)。
アルコールはじめ何でも栄養にして、他の微生物が弱る環境でも耐え忍ぶ能力が高く、このカビが生えた木桶はオーレオの「カラー」に染まるという事だろう。
このカビは香気に関わる各種酵素をふんだんに保有するため、魅力的な香味形成を担っていると推定できる。
そう思うに至った経緯は、黒い木桶から生まれるモルトの分析で、酵母にも乳酸菌にも作ることのできない、幾つかのインパクトある香気成分が発見されたためだ。
それ故モルトウイスキーの個性に影響する第3の微生物としてカビの存在が判明したというわけだ。
この第3の微生物の存在で、酵母や乳酸菌によってのみ生み出される、と考えられていた各種エステル類の生成が強化されたり、アルデヒド類・ケトン類・ラクトン類など酒質に個性化・複雑化でプラスに働く成分が生み出されることが解ってきた。
また、このカビはウイスキーだけではなく幅広く他の醗酵産品にも、例えばボルドーワイン等の香味に影響を与えていると考えられる節がある。
このオーレオは元来、植物や木材を好んで普遍的に生育する菌である。
ワインを例にとると葡萄樹に普通に存在するため、その年の気候次第で果実にかなり自然発生する場合が想定される。
その後のワインの醗酵工程でノーブルなワイン香気に寄与することが幾つかの証拠から推定される。
また、醗酵や熟成に使用するオークの木樽についても、このオーレオがその香気に影響している証拠がある。
即ちその木樽で熟成した酒類の香味にも影響することが考えられるわけだ。
オークの木樽の製造業者は、通常樽材を井桁に積んで、野晒し雨晒しにして2〜4年間乾燥のためのシーズニングを行う。
その間、雨や紫外線に晒されて木材表面組織が崩壊し、各種微生物が入り込んで分解が起こる。
そのお陰でバニラ香はじめオークの芳しいフレーバーがリッチになると考えれている。
ここで興味深いのは、数年間の野晒しの間に色々な微生物の栄枯盛衰があるのだが、最終的に生き残って寡占状態になるのがオーレオであるということ。
生存能力が強いからであろう。
そしてオーレオが良く繁殖した樽材はオリエンタルなココナッツ、ややお香のような特有の熟成香を強化するのではないかと著者は考える。
古典的なスコッチ、ボルドーのグランヴァン、コニャックのランシオ香等、ノーブルな洋酒の熟成香には、実はこのオーレオバシディウム・プルランスが陰で関与しているのではないか?というのが筆者の持論である。
残念ながらこの現象を分析的に体系的に解明し纏めるまでの時間と執念を筆者は持ち合わせずリタイアした。
このネタについては今後興味を持つ若手研究者に期待したい。
研究に値する大きなテーマになると確信している。
以上がスコッチの研究の中で筆者が最後に辿り着いた「目から鱗が落ちる話」である。
一区切り着いたので、今回をもって一旦このウイスキー概論を終わりとさせていただく。
長らくのお付き合いありがとうございました。
ドルイド教が幻惑するケルトの黒い原生林に想いを馳せながら!
以上。
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